首里城の焼失を見て思い出したのは祖父の言葉。

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沖縄は悲しみに包まれています。
沖縄のシンボルである首里城の正殿、北殿や南殿が全焼しました。
琉球王国時代の風景を伝える貴重な場所です。
今日の未明から出火した日は半日間燃え続け沖縄のシンボルを燃やし尽くした。
TVのニュースでは炎上する首里城が何度も映し出されており、ラジオでも幾度となく首里城の火災のニュースが流れています。
SNSをみても首里城焼失に多くの人が驚き、悲しみを投稿しています。
沖縄県民だけでなく、日本、世界中の人が驚きと悲しみを伝えています。
僕も今朝、ニュースを観て言葉にならず、悲しみ、寂しさ、虚無感を感じたのは僕だけではなかったと思います。
首里城は世界遺産の一部となっており、世界的に重要な文化財と認識されていますが、僕ら県民にとってはそこにあって当然で、とても大事な場所なのだと思います。
厳かで、パワーに溢れ神秘的な僕も好きな場所の一つです。
沖縄の見えない力を信じる根拠となるような場所だったような気がしています。
その首里城の正殿などが無くなったなんて、信じられません。
今年2月に復元の最終段階が終わり、首里城の全てが完成したばかりでした。
この気持ちをどう表したらいいのでしょうか。
ただ、首里城は先の大戦で焼失し、復元されたものです。
また、新たな首里城が首里の丘の上に姿を現すことを信じています。
沖縄県民皆の願いだと思います。
沖縄県那覇市の遺言・相続専門JAZZ好きの行政書士ジャジーこと城間恒浩です!

いつの日かの首里城正殿

形あるもの崩れ、命あるもの尽きる

鹿児島出身の母が子供のころ、父親(僕の祖父)の大事な湯呑を割ったときに謝ったら、祖父はボソッと「形あるもの崩れ、命あるもの尽きる」と言い、母をとがめることはなかったそうです。

祖父は網元であり、消防団の団長、鹿児島県消防協会の会長、町議会議員と議長を長くをしておりましたが、とても優しい人で、体は頑丈で力も強く、リーダーシップがあり、面倒見が良かった。
いろんな功績が認められて天皇陛下から叙勲を2度受けています。
足も速く、若いころは11秒台前半で走り、元気なころは毎朝海で3Km以上遠泳していたそうです。
銃剣術では日本一となり、近衛兵でもあったと聞いています。

戦争にも行き最前線で戦い、銃で顔を撃たれても倒れずに前に進み、けがをした後輩を背負って戦場を駆けていたそうです。
いつも祖父の家に来るオジサンが「あんたのじいちゃんには命を助けられた。命の恩人だ。」と話していたのを今でも覚えています。

沢山の人に慕われていて「兄貴」、「団長」、「社長」など色々呼び名がありました。
一緒にお祭りに行くと屋台を出している人たちが子供の僕に「お坊ちゃん、これを食べてください。」と、山ほど食べ物をくれていました。
面倒見のいい祖父の家には、いつも知らない人たち、ホームレスがいたりしてご飯を食べさせていたと、母は言っていました。
知り合いが警察の厄介になると見受け人となっていたそうです。

母親が「お父ちゃんは、なんでそんなに優しいの?」と聞いたら「戦争に行ったから。」と答えていたそうです。
自ら戦争のことは多くは語らなかったそうですが、異常な状況にある戦争に行って沢山の人が死ぬのを目の当たりにした祖父は悲しみに包まれていたそうです。
戦後は捕虜となりながらも、無事に生還した祖父でしたが、本当に優しかったし、好きでした。
祖父が起こるところを見たことがなかった。

丈夫で、気持ちも強い祖父でしたが、晩年は祖母が先に亡くなり、元気がなくなり、足腰が衰え、口数もどんどん少なくなっていきました。
でも、一緒に散歩をすると戦時中に戦友と歌った歌を口ずさんでいる姿を僕はじっと隣で聴いてました。

そんな祖父が亡くなったときには、どんなに強い人でも亡くなるんだよな・・・と感じたのを覚えています。

この世の中で、絶対と言えるのは「人は生まれてきて、死ぬ」ということだけですから。

母方の祖父母。二人とも大きくて当時は巨人夫婦と呼ばれていたそうです。右は鹿児島県の消防協会長をしていた頃の祖父。

何かが壊れたり、誰かが亡くなるときに思い出すのは、祖父の言葉です。

「形あるもの崩れ、命あるもの尽きる」

首里城正殿はいまだ原因不明の出火により、焼失しました。
形あるもの崩れるのは世の常かもしれませんが、やはりこんな形で無くなるのは寂しですね。

沖縄のシンボル首里城の消失は大きな悲しみで、多くの県民に喪失感を与えていますが、必ず再建されると信じています。
願わくば、僕もこの目でもう一度首里城を見たい。

今日のJAZZ

沖縄は一日ブルーな気分に包まれていたように思います。
僕はブルーでした。
そんな気分でいるとき、なんとなくタイトルだけで思いついたのが、サックス奏者ジョン・コルトレーンの《Blue World》です。
今年9月27日発表されたアルバム『Blue World』に収録されているタイトル曲ですが、55年前1964年に映画音楽として録音された未発表音源の一つです。
全体的に骨太な演奏ですが、なんだか寂しさも感じるように思います。
今の気分に合ってるかな。

相続セミナー・説明会情報

自主開催セミナー

「円満かつ円滑な相続を実現する遺言書~幸せな相続の準備~説明会」(仮題)

【開催概要】
◇開催年月日:令和元年11月28日(木)
◇時間:10:00~11:45
◇定員:先着12名
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※当日、会場にてお支払いください

【申込方法】
◇電 話098-861-3953
◇メールお問合せフォーム
題名に「11/28セミナー参加申込」と入力お願いします。
本文にはご参加者人数、お名前と連絡先(電話番号)のご記載をお願いします。

【会 場】
沖縄県教職員共済会館「八汐荘」3階小会議室
那覇市松尾1-6-1
駐車場有(説明会参加者無料)

外部招へいセミナー

当事務所の行政書士城間恒浩が登壇予定の他機関が主催するセミナーです。

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定員:70名(定員に達し次第受付終了)
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申込方法:お電話にてお申し込みください098-936-5287
詳細:北谷町生涯学習プラザHP

【ラジオ番組パーソナリティ】

「ジャジーのJAZZタイム×幸せな相続相談」(FMレキオFM80.6MHz)
毎月第1および第3水曜日21:00~21:50放送中。
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城間 恒浩

代表者行政書士ジャジー総合法務事務所
沖縄県那覇市松尾の遺言・相続関係専門のJAZZ好きの行政書士。 2010年に父親と祖母を同じ年に亡くし2度の相続を経験。 その時に感じたのが「気軽に相続や遺言に関する相談先があったらいいのになぁ」ということ。 そんなことから、身近な街の法律家、遺言・相続専門の行政書士として、自分の経験や学んだ知識で相続でお困りの方のご相談にのっています。 行政書士は遺産分割協議書や遺言書作成などの相続関係のお手伝いもできるのです。 1971年9月生。国際協力関係の仕事に約11年間、社会保険労務士の事務所で約10年勤務後、2015年10月より現職。 エクスマ塾67期。エクスマ・エヴァンジェリスト15期。エクスマ学院1期。 JAZZが大好き。好きな場所は、沖縄とニューヨーク。 2016年9月よりラジオ番組パーソナリティーとしても活躍中。お気軽に「ジャジー」と声をかけてください!

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